記録

個人的な記録

妊娠に踏みきった経緯

2019年は仕事の関係でどう足掻いても妊娠は出来ない状況で全く考えてなかったんだけど、警察沙汰がありゴタゴタして状況が変わり、2020年になってようやく通勤時間が減り事務仕事がメインになり生活面で「今なら妊娠を考えられるかもしれない」って思った。

 

でも、やっぱり仕事の兼ね合いっていうのはあった。本来はおかしいんだけど必ず私でないといけない性質の仕事が2021年に控えてて、それも気にしてまだ妊娠してはいけないなと自分の中でストップをかけていた。

 

そんな仕事や対面を気にする私が、なぜ子供を授かろうと決断したかをまとめると

1 先輩職員の姿

2 年齢とコロナと仕事

3 子供が欲しいのか問題

の3つに大別できると思う。

 

1 先輩職員の姿

人事異動で同じ係になった先輩は30代後半の男性で、既に3人のパパだった。そして年度中に4人目の出産を控えていた。

この先輩は今までのお子さんの出産後も短期間ながら育休を取得しており、なおかつ今まで周りで見たことないくらい昇進が早かった。(単純に階級で言えば、諸先輩方を10歳くらい追い越していた。)

それはやはり仕事が出来ることに起因するんだけど、私が感化されたのはそのメンタルだった。

「自分がいなくなっても問題ない。仕事の穴を埋めるのは上司の仕事だから」「(上述の私でないといけない仕事について)そんなの気にしなくていいですよ。大丈夫ですよ。周りがなんとかしますよ。」「子供は欲しいと思ってすぐ授かるものじゃないですよ。時期なんて待たなくて良いですよ」「子供が産まれると教育資金とか負債だと捉える人もいるけど、投資ですよ。変な意味じゃなくて生きる理由を増やしてくれる」

上記のような言葉をもっとマイルド兼説得力のある表現でかけてくれた。その言葉がじわじわと1年かけて私をいい方向に引っ張ってくれたんだと思う。

 

事実、先輩が育休を数ヶ月とったとき、係長含め係員で愚痴や悪口を吐いた人は誰もいなかったし、仕事がわからなくても誰かがなんとかした。私も増えた仕事を懸命にこなしたし意外となんとかなるもので、(あんなに仕事できる人が数ヶ月抜けても皆でやれば)こんなもんかという感想だった。ここで結構ハードルが下がったのかもしれない。

 

その数カ月後、先輩のお子さんと会う機会が偶然あり、ベビーカーに乗った赤ちゃん(4ヶ月くらいかな?)と初めて会った。衝撃だった。

 

衝撃的なほど可愛くて、頬がくず餅みたいに水分を宿していて、お顔がほのかに発光していて、なんじゃこりゃぁと思った。

赤ちゃんって昔から見る機会はあったけど、こんなに可愛かったっけ????と赤ちゃんゲシュタルト崩壊が起きるほどだった。

それでぐぐっと子供欲しいかもって方向に矢印が動いた。

 

2 年齢とコロナと仕事

長くなって来たので短くします。

何度も言ってるけど2021年に私が必ず出ないといけない仕事があった。それを見越して妊娠時期をずらせればなと考えてたんだけど、新型コロナウイルス感染症の影響で、その仕事が半年後ろにズレた。

 

おおおおーーーい!!!え?こっちは人生の計画をそちらにあわせてたんですが?勝手にずらしてくれんなよ!!と当時はちょっとイラッとしたんだけど、今思うとそういうものだよね。

予定はあくまでも予定で、厳格に守る側が損することもあるわけで、自分が勝手に守らないといけないって決めつけてたわけで。

もう好き勝手やってやる!と吹っ切れた。

仕事のスケジュールを待っててもコロナ収束を待ってても未来は誰にも分からないから、その不確定要素に私の妊娠も入れよう!って。産み時なんて無いよ。いつでも仕事は忙しく降り積もるし突発的に降り掛かってくるものだ。しかもさ、自分の年齢は待ってくれないもん。

 

3 子供が欲しいのか問題

ここまで書いといて子供が欲しいのか分からないとは言わせねーぞって感じだと思うけど、正直本当に子供欲しいかは分かってなかった。だって・・・大変やん。

昔から、将来の夢はお母さんとか保育士さんとか早く子供が欲しいってタイプじゃ全く無かったし、子供は苦手なんで触れ合い方が分かんねーよと思っていた方だった。

あとなんか夫にそれを言うとちょっと残念そうな顔をされたことがあって、は?女がみんな母性にあふれて子供大好きな訳じゃねーぞって思ったこともあったけど今は関係ないから置いておく。

 

ただ、実家の環境はまぁまぁよかったから、いつか家族を持って子供ができるんだろうなってイメージは自然にもっていた。

 

で、この問題に明確に結論が出た訳ではないんだけど、ほしい:ふあん=7:3くらいに持っていった要素を書いておく。

・気遣いのできるお母さんになりたい

 仕事場でも気遣いをしてくれる優しい年上の方は多いけど、今の自分の延長線上にその姿は見えなくて、いつか遺伝子の突然変異的なイベントが必要だと考えた。で、思い当たる節の一つが出産・子育てだったため、経験するのは良いかもなと思った。

・子供産まれて不幸せな人少なく見える

 世の中悲しいニュースはあれど、周りで子供産まれて不幸そうな人少ない。めっちゃ可愛がってる人多い。多分、多数派の私もそっちに属せるはず。一度産んでみよう。一人ならなんとかなるだろう。(こんなこと書いて・・・ごめんなさい😂)

・自分の赤ちゃんは可愛いはず

 上と一緒で、人の赤ちゃんは一生愛して責任をとっていく!とまで可愛く思えずとも、自分の赤ちゃんは全然違うという言葉が散見されるため、自分もそうだろう。

・季節イベントのやり直し

 自分が小さい頃に楽しかった、大きくなるに連れ色あせてきたイベント(お祭り・クリスマス・キャンプ・海水浴など)を子供と一緒にやりなおせるというのをどこかで見て、あー、それはすごくいいな!と思った。

夏休みに親戚でプールに行って、疲れた頃にお母さんが握ったおにぎりをアルミホイルを剥がしながら食べるとか、そういうさり気ない追憶とやり直しが出来るのはすごく情緒的な体験の気がした。

 

こんなようなことを考えて、無事妊娠に至ったわけです。もう9ヶ月、妊娠期間は正直しんどかったし今もシンプルに体がしんどい。メンタルもしんどい。前は見えてなかった不安もたくさんある。ハッピーマタニティライフとは幻想だと思う。

けど、お腹を蹴る小さな足とかブルブル震えるときとかエコーで見える横顔とか、うーん

まぁ可愛い要素が大きいよね。しかも自分と夫の遺伝子が入ってるんだから(、、、いやこれは心配のほうが大きくなるから、ゴニョゴニョ、)

 

あと一ヶ月ちょい頑張るぞー。あ、頑張れないけど、とりあえず息をして生きるぞー。

新ビオフェルミンS

 

もともとお腹が強くないので、昔からお手洗いに閉じこもることが多かったんです。

冷えや便Pにより時折訪れる腹痛は凄まじく、額から汗を流しながら神と仏に祈りを捧げてきました。(神仏習合

大学生になって食生活を自己管理するようになってからは追加で衛生面も加わり、お手洗いで神仏習合の儀を行う度に胃腸の鍛錬中なのだと自分を奮い立たせてきました。

 

それでなんとかなってたし別に大きな問題じゃないと思っていたんですが、ある時からすごい痔になりました。

最初はちょっとキレちゃったテヘくらいだったのが、みるみる悪化し何がとは言いにくいですが真っ赤に染まるようになりました。

そうなってからようやく自分の肛門を心配しはじめました。

痔が悪化すると痔瘻っていう怖い症状も出てくるんやなって、それはいややなって。

 

それで、去年くらいに初めて痔の病院に行きました。内痔核に傷がついてて5段階の3やったか4段階の2やったか忘れましたがとにかく痔やったんです。

ほんでチューっと注入する薬もらって家でやってたら大分治ってきて、あんときは嬉しかったなぁ。チューっと注入するときは痛気持ち悪いんですけどね。

 

まぁ、けど、病院って行かなくなるじゃないですか。症状が治ってきたら2回目3回目がめんどくさくなって。

 

で、放置してたらまぁ妊娠が発覚して、妊娠したら痔ってひどくなる人多いらしいです。体の内側から押されるし便Pになる人が多いから。もれなく私も再発しました。

 

で、今、新ビオフェルミンSを飲んでいます。この錠剤は、妊婦さんもかなり小さなお子さんも飲めるんですって。それで便Pが大分改善されて痔も血がつかなくなりましたっていう話です。

実家のおばあちゃんはエビオス錠を飲んでたんですが私は味とか大量に飲むのが好きじゃなくて、ビオフェルミンは錠剤も小さいし1回3錠でよいのでとても助かっています。

 

おわり。